映画『君の名は。』を観てきた
私的には結構楽しめた
それはいろんな角度から解釈してもまだ何かを発見できたから
ソウルメイトな部分だけでなく
今の世情や自分の欲しがっている部分に入ってくる
またそれだけでなく啓示的なものも感じた
素直にそう思った
でもそれは私のある一部分であったし
また違った映画を観ても私の違う部分が反応ました
そんななかネット上ではいろんな意見が飛び交っていて
江川達也氏
「君の名は。」に持論「プロから見ると全然面白くない」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161006-00000114-spnannex-ent
それに対し
永江一石氏が『プロとかアマとかってなによ』ってことで
「君の名は。」は、プロから見て面白くなくてもよいのだ。文句あるか。と
http://blogos.com/article/193222/
―永江氏―
世の中には、アマとプロがいます。
どういうスタンスかというと、「アマは自分が楽しむため」に、
「プロはお客さんに見せるために」やります。
高校球児は自分たちのためにやっていて、
それを我々は見て楽しませてもらっていますが、
プロ野球はファンに見せるためにやっているのです。
つまりファンが見て面白い野球をしなくてはならないのがプロで、
高校野球はそんなこと考えずに一所懸命にやればいいのです。
その記事に対し
画家さんたちがツイッターで共感?していました
プロ定義?
―世の中には、アマとプロがいます。
どういうスタンスかというと、「アマは自分が楽しむため」に、
「プロはお客さんに見せるために」やります。―
これは 商業ベースの作品の定義ですね
そしてそのプロ作家さんたちの作品づくりを覗いてみると
無駄がなく最短で仕上げる方法を確立していました
そうなるはずです
生活がかかっているからです
そうしているうちに先日のノーベル生理学・医学賞のニュース
受賞された東京工業大学大隅良典栄誉教授曰く
「役に立つかどうかで科学を捉えると社会はダメになる」
http://gooday.nikkei.co.jp/atcl/report/14/091100031/100400425/
こういう意見を聞いて
私はやはりこちらが好みだと思った
大隈先生はただただ自分にできることを信じて進めてきただけ
認められてもいなくても
目的が違う
膨大な無駄と思われる研究も含めて必要だった要素で
合理的な結果を求めると痩せたモノにしか出会えない
なにかがあると思うから進むだけ
化学も芸術も同じだと思った