千姫のひとりごと

千姫の日々の気づきや想いを「ひとりごと」として綴っています。目に留めて頂ければ、これも何かのご縁・・・

新しい親子の絆を求めて

きょうは、午後から仕事を少しお休みして
『新しい親子の絆を求めて!』というタイトルの講演を聴きに行った

講師は、芹沢俊介先生

イノセンス(根源的受動性)』の表出という観点から
子供の暴力について全面的肯定理論を模索する作業を
10年以上にわたって継続されている方です

著書も『現代(子供)暴力論』『子供問題』『母という暴力』
『子どもたちの生と死』『いじめ時代の子どもたちへ』他、多数

主催は、社会福祉法人『はりまいのちの電話

その一本の電話で
死を目の前に追い詰められた人が、何人救われたことでしょう

芹沢先生は、最初は
最近の子供による親殺しの例を、多数挙げられ
それからずっと昔の、浄土真宗観無量寿経』の
仏典の中にある『阿闍世』の物語のお話をされました
http://www.spacelan.ne.jp/~teruteru/houwa/ousha.html

『阿闍世』は、自分の父を殺してしまうのですが
その中の登場人物は、母親も含め
誰一人として、彼を責める者はいなかったのです
それどころか、彼の気持ちを受け入れる人がいたのです

ところが、現代では180度考え方が違い
親を殺した子供たちは、皆、実刑を受けています
現代人は、親殺しを受け入れられないのです

芹沢先生は、そのポイント期を
1995年、阪神大震災サリン事件のあった年と言われました

それまで(1994年)の幼児の親が幼稚園を選ぶ基準が
近所にある幼稚園や、いつも遊んでいる友達と同じ園というのに対し
1995年以降は、その園の教育内容で選ぶという項目が
一番、優先視されるようになったそうです

先生の言葉

子育てには、2つの方法がある

『させる育児』と『受け入れる育児』

子供に『させる育児』をする親は『子殺し』の問題をはらむ
親から『させる育児』をされた子供は
親の期待に副おうと、どんどん『自分を殺していく』
最初のほうは『殺す自分』が、たくさんある内は突っ走れるのですが
その内エネルギーが減って、失速していく

そして、親を憎むようになり『親殺し』
親殺しが出来ない場合は『自傷』する

親殺しする子供は、その前に『子殺し』されていたのです
『阿闍世』の物語にも、そのことが書かれていたのです

私も、日ごろ相談を受けていて
その人の、幼少期時代の親との関わりが
気になることが、とても多かったのです

芹沢先生は『受け止める育児』の大切さを強調されていました

そうなれば、その親も『受け止められて』育っていないのでしょう

これは、その家庭だけの問題では無いと思いました
地域全体の問題、また国の問題

そして、ひとりひとりが考える問題

私も、今、自分の事として考える時だと思いました